試合まで1ヶ月を切りました。もう30日くらいしかないのか、という思いもありますが、それと同じくらい「まだ30日もある」という思いもあります。結局自分がどうとるか。
子供の頃、時間が過ぎるのが遅く感じて(時間を長く感じて)、大人になるとその逆。
というのはよく聞きますが、最近は前者に近いかもしれない。
赤ちゃんのときは新しいことしか入ってきません。予測がきかないばかり飛び込んできます。
大人は逆で、既に(似たようなことも含めて)体験したことが入ってきます。つまり予測できることばかりです。
人間はこれを「学習」って言うんですが、どうなんでしょうね。
「脳トレ」のゲームをやり込んで点数が高くなれば、そのゲーム内で「脳は若い」と判断されます。でもそれで実際の生活に結びついた人間が果たしてどれだけいるのか、という話。(もちろん、いるでしょうが。)
陸上を追求していれば、新しいことが入ってくる。発見がたくさんあって、面白い。単に走るのが面白いではないです、僕は。どっちかというときついことを避けてきた方。
でも発見が面白いんですよね。今気づくと。
壁があって、乗り越えていく作業。これに達成感を得る。
生活でも、とにかく新しいことのみを求めるようにした。
↑で書いた「予測できない」を呼び込むためには、やっぱり人に会わないと駄目。とにかく人に会う機会を作る。別にスポーツに関連した人でなくても良い。(むしろそうじゃないほうが刺激が、きやすいかも。)
知識という点では読書とか、ネットとか、まぁ本当に便利になったなぁと思うけど、結局なんのためにあるかというと、人のためにある。
僕が一人で持っていても仕方ない。人に与えないと。
そういう点でも人に会わないといけない。
会って「あーそういえば」と思い出して、人に発信できる。
どれだけ発信できるかわからないけど、ないよりいい。
また人に与える手段が「陸上競技で結果を出す」ということなんじゃないか、と後輩達が出た春季を見て、思ってた。なんで知らん奴が走ってて感動するんだろう、と自分で自分が不思議でした。
人は誰にでも、何かをもらえるんです。ということは与えられるんです。
老いという壁はあると思う。
あまり意識していないけれど、僕も18歳。(なんか知らないけれど、僕は自分の年齢をずっと15歳ぐらいだと感じてる)。一般の人よりはカラダのこと考えてるといっても、やはり年齢の壁がくる。いつごろ実感がくるのかもわからないけど。
でも僕は、70歳になっても陸上をやってると思う。
最近、「タイムを上げたい」ではなく「陸上を追求したい」という思いに変化してきた。
甲野善紀さんが現在の年齢(50歳〜60歳くらい?)でも、「今の体が絶好調だといえる」と仰られたそうです。
多分、これって「追求」してるからです。
予測できないものを自分から見つける。これが追求。
だから常に「若い」んです。
子供の頃の「予測できないこと」「新しいこと」を常に求めてるから。
70・80歳になったとき「あー体が柔らかかった20歳ぐらいのときに、これに気づいていればなぁ」などと笑いながら、新たな発見をする選手になりたい。
100歳まで生きるつもりでいるんですけど、今18歳。
あと82年陸上競技を追及できます。幸せ。
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2009年06月13日
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